オリンピックの閉会と感動を仕事にするということ①〜イベントプロデューサーの仕事〜

東京オリンピック、閉幕しましたね。
直前まで本当にやるのだろうかと
半信半疑の中、選手のためにも
実現してほしいと待ち続けた2年間でした。

個人的には大好きな3人制バスケ「3×3」が
オリンピック種目になり、
テレビで色々な人に観てもらえるようになって
とても嬉しかった。

女子5人制バスケは銀メダル、
他にも様々な新しい種目で
日本人選手が活躍するなど
たくさんの感動をもらった2週間でした。

さて、今日は
私の仕事の一つである
イベント企画・制作・運営の仕事について
書いてみようと思います。

 

というもの、
2年連続で順天堂大学で講師を務めさせていただき
「イベントプロデューサーという仕事があるんですね!」
「私もそんな仕事をしてみたいです!」
という学生さんの声を多くいただくようになったんです。

学生に限らず、
「え、どうやったらなれるの?」
「具体的にどんなことをするの?」
と聞かれます。

そこで今回は
オリンピックと少し重ね合わせながら
イベントプロデューサーの仕事について
書いてみたいと思います。

 

1) 私がイベントにたずさわるようになったきっかけ
2) イベントプロデューサーの仕事とは?

3) 国際的な現場で求められること
4) 今後の目標とパリオリンピック 

 

1) 私がイベントに携わるようになったきっかけ

 

歴史は小学生に戻ります。

音楽は物心ついた時から
掛け替えのない存在で、
学校でみんなでCDを貸しあったり
暇さえあれば友達とカラオケに行く子供でした。

初めて買ったCDはGLAYの誘惑。
SOUL LOVEと二枚組の同時発売で
二枚一緒に買うと下敷きがもらえたんです。

姉と一緒に買いに行くと、
お店のお姉さんが特別に
下敷きを二枚くれたことは
今でもよく覚えています。

 

高校生になって
私は初めてライブに行きました。
両親に厳しくしつけられた私は
ライブに行くことは長らくNGでしたが
お年玉を貯金しては
ライブ資金を貯める子供でした。

最初にライブハウスに行ったときの衝撃。
それは

 

「生きている!!ってめっちゃ感じる!!
こんな感動感じたことない!」

 

ここから私は
生の音楽の魅力にとりつかれていきます。

 

大学生になって自分でお金を稼ぐようになると
大好きなバンドを追っかけて
日本全国ライブに行くようになりました。

ライブ会場で感じる生のエネルギー
空気の振動
会場の一体感
その時にしか生まれない一期一会の感動。

いつしか私は

「自分もこんなライブを作る人になりたい」

と思うようになりました。

 

学生時代はとことんライブに行きました。
特に洋楽が好きだったので、
Summer Sonicなどのフェスはもちろん
かなりマイナーな海外バンドのライブにも
足を運び、たいてい最前列に陣取っって
アーティストからセットリスト(曲順)の
書かれた紙をもらったことも多々。

そんな中マイナーバンドのライブの主催者や
洋楽のDJイベントの主催者、
また音楽へ強いパッションを持つ
バンド仲間も増えていきました。

 

当時私は英語が一番得意な科目であったことと
いつか海外で働きたいと思っていたので
日本人にしては英語が話せる方でした。
そこで海外バンドが来日する際に
アテンドを手伝うように。

アテンドとは
空港に迎えに行ったり
ホテルに送り届けたり
食事に連れて行ったり
ライブのスケジュールを管理したり
オフの日には観光に連れて行ったりと
バンドのお世話をすること。

これが自分がただのお客さんから
主催者側にまわった最初の一歩でした。

 

長くなるのでは割愛しますが
そこから私はコンサートプロデューサーになるため
単身イギリスに渡り、
現地のフェスでボランティアをしたり
バンドに連絡をして
単独取材をするように。

英語も話せないまま
現地で仕事をしたり
友達を作るのは苦労しましたが、
おかげで学校に通うことなく英語を習得し
帰国後は苦労の末
夢だったコンサートプロデューサーに
なることができたのです。

 

コンサートプロデューサーの仕事については
また機会があれば書くとして
私は学生時代の目標通り


英語×コンサート

 

のスキルを身につけ
磨いていきました。

これは今の私のキャリアに
大きく役立っています。

 

そんな中あるとき
Red Bullが主催するイベントを
手伝うことになり、
そこでコンサート以外の
イベントの仕事に初めて携わります。

 

コンサート業界で
舞台演出や演者とのコミュニケーション
スケジュール管理や
バイトやセキュリティの配備
お弁当の手配から
ステージの仕込み、バラシまで
一通り泥臭いことは経験していたので
やるべきことは理解していました。

 

当時私は転職することが決まっていて
在籍していた会社を退職する
ギリギリで現場に入ることになりました。

現場では悪質な風邪が流行しており、
私は現場入りしてすぐに感染。笑
土地勘のない大阪の地で
タクシーで病院へ行き、
40度の高熱の中点滴を打ってもらい
海外チームと毎日ミーティングという名の
戦いを繰り広げました。

(私以外に英語を話せるメンバーがいなかったので
ギリギリに事情もわからず現場入りしたものの
私の責任は重大でした)

 

20代そこそこの私が
40度の高熱に負けず
海外勢に一歩も譲らず戦う姿を見て
私のことを記憶にとどめてくれたのが
イベント主催者の社長です。

そしてその社長から転職後も
個人的に仕事のオファーをいただくことになり
私は会社員と並行して
イベント×英語の実績を重ねていきました。

 

ただ、当時勤めていた会社は副業禁止だったの
完全なボランティアで
会社は有給をとり、
交通費は自腹で行っていました。

 

それでも経験への投資と
信頼関係の構築が
何物にも勝ることを私はわかっていたのです。

 

長くなったので、次回へ続きます!

 

こちらもあわせてどうぞ♪
▶︎PRプロデューサーの仕事についてはこちら
▶︎トップアスリートと仕事をしても変わらない、イベントの極意

 

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